約 1,883,931 件
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2308.html
このプレイの縛り一覧は以下の通りです。 0)軍師は趙雲固定※能力研究で知力90に 1)配下の登用可能人数は「1城×3名」※君主の樊氏様は含めない 2)登用可能能力は統率、武力は「趙雲」未満、知力は「90」未満と「姜維、龐統、法正、徐庶、賈詡」の5名のみ登用可。 3)捕虜の飼い殺し、処断禁止 ※登用しない、できない人材は戦争(防衛、侵攻どちらも)終了後に即解放 4)旦那、嫁のどちらかを登用できない(またはしない)場合、両方とも登用禁止 5)君主の適性が育っていない兵科の技巧研究禁止(適性Aで三段階目の技巧が研究可能 兵器適性は発明に該当) 6)廟発見での付与禁止特技 「神」がつく特技、「虚実」「洞察」「覇王」「飛将」「勇将」「疾走」制限 ※能力研究で出現した場合は使用 7)趙雲の息子2人は優先的に登用 8) 特技「捕縛」は使用禁止 第四回樊氏様がこの10年を振り返るそうです 樊氏「最初はどうなることかと思ったけど、なんとかなったわね」 趙雲「成都を取る、と言われた時は驚きましたが奇手でありましたな」 趙範「梓潼以外の益州と荊州を統一して樊氏軍は領地11国となりました~。 下の地図を見てね」 261年1月1日現在の大陸 左側から 茶=馬雲騄軍、青=鮑三娘軍、紫=樊氏軍、薄緑=蔡氏軍、鼠色=貂蝉軍、黄=黄月英軍、臙脂=蔡琰軍、紺=卞氏軍、水色=大喬軍、卵色=徐氏軍 初期の段階において、樊氏軍は貧弱も貧弱な軍でしかない。 兵数も技巧も少ないし、頼りになるのは趙雲だけで\(^o^)/オワタ状態いいところだ。 そのため難易度も☆5となっているが、実はちゃんと抜け道は用意されているのであった。 寡兵で周囲の空白国を占拠し優秀な在野を登用していけば、もしかしたらかなり楽勝な部類の軍かもしれない。 しかも、武陵、永安、江州、成都などは優秀かつ相性のいい在野が数多くいるので、すべての在野を登用できれば天下を取ることは難しくないだろう。 少なくとも同じ難易度である王異軍や鄒氏軍に比べれば、はるかに難易度は低いと思う。 この通常プレイでは大変有効な「寡兵で空白国を占拠」だが「1城×3人縛り」でも有効かどうか自信が持てず (防衛できない可能性があるので)、最初は荊南に引きこもってしまった。 が、少なくとも樊氏軍には「寡兵で空白国を占拠」は有効である……というより必須といったほうがいいかも。 「1城×3人縛り」のプレイヤーは守りにくい桂陽をいったん明け渡し零陵まで下がったが、特にこだわりや縛りがなければ桂陽には政治70~80台の薛綜親子、 武力70台で相互親愛の陳応と鮑隆がいるし、零陵には刑道栄がいる(相性はあまりよろしくないが)この6人+趙雲がいれば桂陽も守りきれる……のではないかと思う。 その間に趙範で成都~江州~永安を占拠し、樊氏様で武陵の人材探索を行えば初期の段階から6国を統治できる。 桂陽を捨てない戦略だと零陵と江州が安全国になるので、すべての開発地に市場Lv.1と造幣を建てておけば、 レベルアップしなくても十分な収入になる。経済的に困窮することもなくなるだろう。 片方を農場だらけにするという手もあるが、農場はLv.1のままだと蝗災害にあったときに破壊されてしまう。 そのため最低でもLv.2にする必要があるので初期の段階ではあまりオススメしない。 また防衛戦が非常に多くなるが江陵と襄陽は絶対に取っておいたほうがいい。 これは長沙の孫尚香軍でプレイする場合にも言えることだが、この荊北を取っておかないとのちのち非常に面倒なことになる。 江東側の敵国とは同盟を結んでおけば江陵の弱点である鳥林港もカバーできるし、新野~許昌~洛陽への足がかりにもなる。 中原へと進出するには漢中~長安まわりより新野~許昌経由の方が断然早いし攻めやすい。 江陵はとにかく四方八方から攻められるので死地扱いされやすいが、やはり重要な拠点であることは間違いない。 同じ死地でも江夏は文字通りなんの取り柄もないが「女の戦い」シナリオでは在野に魯粛、呂蒙といった優れた人材がいるので、探索だけ行って後は放置するという手も。 鮑三娘軍を巨大化させないために成都を圧えたように、当面は同盟を結ぶにせよ、人材にすぐれた大喬軍への牽制として荊北は必要だと思う。 彼らの尻馬に乗っかって攻略都市をハイエナすることも可能。もちろん樊氏軍は最大限にこれを有効活用させてもらったw 樊氏「……と、我が軍の10年はこんな感じで過ごしていました。いかがだったでしょうか?」 趙範「侵攻戦よりも防衛戦のほうが圧倒的に多かったけど、主要都市を占拠しておいたから、相手の国力が目に見えて衰弱して気持ち的にも楽だったよね」 趙雲「──終りのない防衛戦ほどストレスの溜まるものもありませぬからな」 三人「……orz(前回の益州攻略を思い出す)」 樊氏「まぁ気を取り直して進めましょう。今後の戦略について子龍様、ご説明を」 趙雲「はい。今後は梓潼の鮑三娘軍との同盟を破棄してかの地を攻めるか、中原方面へと進出するかになりますが、 どうも新野の黄月英軍が大喬軍に攻められていて危うい。また上庸の蔡氏軍もさっさと滅ぼしておきたいところでもあります」 樊氏「新野の攻防しだいでは鮑三娘軍との同盟はしばらく継続して、さきに中原方面へと進出する可能性もあるってことね」 趙雲「そうです。河北の蔡琰軍がかなり勢いづいております故、下手に中原を取られると厄介ですからな」 趙範「11都市統治で配下も30名以上に増えたから二方面への進出も可能かもね!」 趙雲「ですな。良将が集ってくれたので、戦闘自体はとても楽でした」 樊氏「当面の目標は献帝の擁立ね(私はどっちでもいいけど……)」 樊氏軍は「漢室重視」が多いので一応擁立の方向で行きたいと思う。 では、これにて第四回終了! 第五回樊氏様が中原を突っ走るそうです 樊氏「この回はタイトル通り主要な部分だけ書いております」 趙雲「というより、のんびり派のプレイヤーには珍しく積極的に侵攻戦を行いましたな」 趙範「261年~266年秋の5年半の間に11都市に進撃したよ~」 趙雲「襄陽を攻略した後、秋までは戦後処理と内政・軍備を行っていました」 樊氏「さすがに将が30名超えると都市の復興も早いわね」 <261年10月1日~> 上庸の蔡氏軍の兵が2万弱と少なかったので、鮑三娘軍との同盟はしばらく維持することにし、先に上庸・新野を取ることに決定。 ただ上庸を取ると宛の貂蝉軍と接してしまうため、多めの部隊を出陣させる。 また新野攻略部隊として、水軍Sのメンバーを江陵へ待機させておいた。 上庸攻略部隊 趙雲+張任+董允 弩S8000 黄忠+霍弋 弩S8000 厳顔+趙範 弩S8000 樊氏+李恢+龐統 弩S10000 鄧艾+孫亮 投石S8000 姜維+鄧忠 槍S8000 <262年1月1日~> 上庸を攻略。杜預、龐徳、張嶷、馮習(騎神)を捕虜→登用へ。 その後、上庸に最低限の内政を行い、技巧「城壁強化」の研究を行う。 これで防衛戦が格段に楽になるはずだ。 <262年7月1日~> 新野~江夏間の隘路で大渋滞を起こしている黄月英軍vs大喬軍を横目に見つつ、江陵から孫堅を筆頭に水軍Sメンバーで出陣。 新野攻略部隊 孫堅 戟S8000 孫尚香+孫登 弩S8000 蒋欽+孫皎 弩S8000 朱然 弩S10000 甘寧 投石S8000 黄月英軍の野戦部隊は大喬軍におまかせしw、水上から投石を行う。城の耐久が下がったところで、殴って落とすつもり。 <262年11月1日~> 上庸を落とした途端、宛からやってきた貂蝉軍の董卓達との防衛戦を終了。返す刀で宛へ侵攻開始。 宛攻略部隊 趙雲+馮習+董允 騎S8000 姜維+曹純+典韋 騎S8000 龐徳+傅彤+蒯良 騎S8000 黄忠+霍弋 弩S8000 厳顔+趙範 弩S8000 樊氏+李恢+龐統 弩S10000 鄧艾+鄧忠 槍S8000 李厳+沙摩柯 戟S8000 張任+杜預+孫亮 投石S8000 背後の漢中は鮑三娘軍の領地なので攻められる心配はないから目一杯の兵を出陣させる。 攻城兵器を担当させるちょうどいい将がおらず「弓将」の張任に任せることに。 「弓将」としては厳顔よりも張任の方が能力は高いのだが、厳顔は黄忠と親愛なので支援攻撃が期待できるためあえてこの采配にした。 曹純(騎神 騎S)、馮習(騎神 騎A)の加入が大きい。 この2人は蔡氏軍にいる間に隠し特技の「騎神」を付与してもらっていた。 これはかなりいい人選だ~ありがとう! 蔡氏! もう滅亡したけど。 CSPKだとCOM側も特技のない将に特技を付けてくるのだが、どうも総合能力の高い順につけるらしく、能力の高い将達に「運搬」や「築城」が付いている事が多い。 後のほうに出てくる隠し特技はもったいないお化けがでるぞ! と言いたくなるくらい無駄な奴に無駄な特技が付いている。 ……ちなみに前回の鮑三娘軍との攻防では黄皓と楊松に「勇将」が付いていたw 見た瞬間、その人選はわざとだろ、と呟いてしまった。 しかしたま~に今回のようにいい人選もあるので、侮れない。 特に「○神」系の特技は能力依存しないので、敵国の隠し特技も利用できるという利点はある。 <263年1月1日~> 新野攻略、黄月英軍滅亡。 登用枠に余裕があるので、一気に5人の将を捕虜→登用へ。 趙統、徐庶、婁圭、徐晃、顔良の5名。趙雲の息子、趙統は特技「築城」を貰っていたがこれは「補佐」に書き換える予定。 能力研究の「+5」各種は余っているので、趙雲の息子達は出来る限り強化してあげよう。 <263年3月1日~> 宛を攻略。目ぼしい将はいなかったので全員解放。 貂蝉軍は洛陽一国になったが兵はまだ10万近くいるので、すばやく宛の東西に城塞を建設する。貂蝉軍の将を詳しく見ると……! 法正がいる! 「パパ、洛陽を絶対に落とすためにがんばっちゃうぞ~!」……後にこれがフラグになろうとはorz その後、もと黄月英軍だった劉封(槍将)と董厥(射程)が自主士官して来てくれた。 しばらくは宛の復興と蔡琰軍との同盟のための親善という名の土下座を開始。 また新野では汝南の卞氏軍との防衛戦を行っていた。しかしやっぱり城塞があると違うね~。 防衛戦を行っていたメンバーの内、以下の部隊を少しずつ前進させ汝南攻略を開始する。 汝南攻略部隊 甘寧+蒋欽 弩S8000 徐庶+孫尚香 弩S8000 顔良+孫亮+董厥 投石A8000 一見、部隊が少ないようだが、実は卞氏軍は洛陽の貂蝉軍や、濮陽の蔡琰軍に許昌を激しく攻められており、汝南にはほとんど将がいなかった。 気をつけるのは許褚くらいだが、脳筋だし統率力も高くないのでそう怖くもない。 <264年1月1日~> 汝南攻略。こちらも城にいた将はすべて解放。 同年、5月に蔡琰軍と同盟締結。 さらに、6月には永安で新しい将を2人迎えた。 趙雲「叔至殿!」 陳到「子龍殿!」 趙雲「貴殿が我が軍に来てくれたとは心強い」 陳到「うむ、子龍殿が軍師をしていると聞いて、微力ながら末席に加えさせていただいた。また一緒に戦えるかと思うと嬉しい限りだ」 趙雲「なにそれはこちらの台詞だ。これからよろしく頼む」 陳到「もちろんだとも」 陳到は将として平凡なのだが、趙雲との相互親愛があるので特技「補佐」を覚えてもらって息子2人とともに援護部隊を結成してもらう予定。 そしてもう1人は蜀の最後の名将・羅憲を登用した。羅憲は統率力が高く、弩と兵器適性がSという有能な将だ。 翌月、悲劇は起きた。 密偵「伝令! 鮑三娘軍の君主、鮑三娘殿が討死されました!」 一同「!!!」 鮑三娘軍は涼州の馬雲騄軍と漢中をめぐって激しい攻防を繰り返していたが、どうやら涼州の殺し屋こと馬兄妹のどちらかに轢き殺されたようだ……合掌。 国を継いだのは旦那の関索ではなく……郭汜。え? マジ? 相性が真逆の郭汜が継いだせいで、蜀四相のひとり蒋琬が下野した模様。 10年以上同盟国だった君主が討死するという悲報に動揺するなか、あの男がやってきた。 <264年7月1日~> 飛将到来! 洛陽の貂蝉軍、濮陽の蔡琰軍、許昌の卞氏軍とで長いこと争っていたが、どうやら貂蝉軍は許昌侵攻を諦め矛先を樊氏軍に向けてきたようだ。 その分、蔡琰軍が許昌に猛攻をかけており、卞氏軍は防戦一方になっている。卞氏軍の優れた将を蔡琰軍に取られるのは惜しいので、是非ともハイエナしたいところ。 また郭汜軍の漢中が馬雲騄軍に取られてしまったが、陽平関越しに郭汜軍の部隊が粘っているため、 馬雲騄軍の残りの兵が漢中に入ることができず、城内の兵数はわずか7000弱。これはこちらが取るほかないだろう。 とはいっても洛陽からこちらに向かっている貂蝉軍の数が半端ない。呂布隊(騎8000)と文聘隊(騎8000)の2部隊に5~6000の部隊が×10。 だが、すでに宛の西側は城塞と石壁で固め、石壁を挟んで連弩櫓、東側には城塞と城の北東に投石台、南東に軍楽台を建てておいたので守りは万全である。 高台にある城の2マス以内から乱射祭りといこう。 それに文聘隊には司馬懿がいるので計略は無効だろうが、呂布隊には知力補佐がおらず、樊氏様+李恢の擬似神算で十分抑えられる。 (隠し特技「神算」の研究もすでに完了しており、汝南にいる徐庶にはすでに取得させている) 思い切って許昌、漢中、宛の防衛と部隊を三方面へ分けることにした。 汝南は隣の寿春を大喬軍と蔡琰軍が激しく争っているが、どちらが支配しても問題ない。 汝南からの許昌攻略部隊 甘寧 戟S8000 徐庶+孫尚香 弩S8000 蒋欽+婁圭 弩S8000 さらに宛からの許昌攻略部隊 趙雲+馮習+董允 騎S8000 龐徳+傅彤+蒯良 騎S8000 徐晃+沙摩柯 戟S8000 漢中攻略部隊 姜維+曹純 騎S8000 鄧艾+鄧忠 槍S8000 朱然 弩A8000 典韋+孫亮 衝車A8000 ちなみに孫堅、劉封、趙統、顔良、董厥はいまだ許昌から攻めてくる卞氏軍と防衛戦中。 そして残った黄忠、厳顔、張任等の弩S達は宛の防衛に。杜預や孫桓、羅権、李厳も弩Sなので乱射部隊には困らない。樊氏様+李恢+龐統は計略&城塞修復係に。 また「運搬」持ちの孫皎には江州~永安~江陵~襄陽~宛と金と遊兵を運ばせていた。 今のところやることのない陳到は弩適性Aの修行と乱射で気力の減った兵の訓練を担当。 <264年10月1日~> 木獣でガリガリ城の耐久を削ってくれていた蔡琰軍にヒヤリとしたが、最後の一撃のみ趙雲が掻っ攫って、無事にハイエナ。許昌を陥落させ、卞氏軍滅亡。 途中、汝南からの部隊を迎撃しに来た文醜+SOSO様の部隊を壊滅させてSOSO様を捕虜にしていた。んで、許昌を落とした後に追放処置を取ったのだが……。 曹操「樊氏殿がこれほどまでに~なんたら」 と言って去っていった。いつも上目線なSOSO様からこの台詞を言われたのは初めてですよw この未亡人好きめ!w 卞氏軍から以下の4名を捕虜→登用に。 曹彰疾走 司馬孚(弓神) 文鴦急襲 袁遺指導 卞氏軍の隠し特技は「弓神」と「指導」が出ていたようで「指導」持ちが増殖していたのだが、 妙に義理の低い奴ばかりに付与していたので、本来の「指導」持ち袁遺のみ確保。 またCOMに「弓神」を貰っていた将の内、司馬孚のみを登用(郭嘉の息子、郭奕も「弓神」持ちになっていたw) 後は最強特技のひとつである「疾走」持ちの曹彰と趙雲と親愛のある文鴦をキープ。 <264年12月1日~> 漢中攻略。将はすべて解放。 陽平関はまだ馬雲騄軍所有になっているが、2マス先に軍楽台建設、関を挟んでの防衛戦開始。 また、領地を囲んでしまったので郭汜軍からいつ同盟破棄の使者が来てもおかしくない。 梓潼からの桟道出口に城塞と軍楽台、天水からの出口に連弩櫓を建設しておく。 漢中を陥落させた直後、在野になっていた蒋琬が自主士官。ありがたい。ちなみ登用枠は後2人分ある。 大都市・許昌は出来るだけガッツりと内政をし、漢中は最低限の内政施設+市場Lv.1+造幣施設を建設。それ以外にも兵の訓練に兵装の運搬にとやる事は山積みである。 技巧ポイントも9000ちょっと貯金できているので技巧研究もしたいし……。 なんか貂蝉軍からの侵攻が少なくってきた……と思ったら蔡琰軍にガチ攻めされておるがな! これはイカンと思い、急いで洛陽攻略部隊を送ろうと思っていた矢先、 蒯越「心苦しいのですが本日をもって……」 と、郭汜軍から同盟破棄の使者が。いやまぁ相性も真逆の君主だし遅かれ早かれそうなるとは思っていたが。すでに漢中へ兵をだしてやがる! 成都には兵6万弱と兵装・騎馬も十分に用意してあり、将さえ移動すればいつでも出撃できるので、兵の少なくなった梓潼を背後から急襲することにした。 そのためまたしても将達を洛陽攻略、梓潼攻略、漢中防衛、さらに技巧研究の仕事に割り振ることになった。 まずは洛陽攻略部隊 甘寧+司馬孚+袁遺 弩A8000 孫尚香+孫登 弩S8000 蒋欽+蒋琬 弩S8000 顔良+董厥 投石A8000 鄧忠+婁圭 槍S8000 甘寧は特技的に弩適性をSに育てたいためこの編成にした。 そして董允、趙雲、徐晃は江州で技巧研究。雲梯→騎兵鍛錬→良馬産出→騎射と続けて研究。 趙雲達が「雲梯」を研究している間、樊氏様はまだ習得していない兵科の適性修行に。騎B→Aへ。 (ちょっとこの辺りのメモが不明でごっちゃになっていますが、騎馬適性はこの頃にAにしました) 樊氏様の修行が終了後、梓潼に向けて出陣。 梓潼攻略部隊 龐徳+傅彤 騎S8000 曹彰+曹純+趙範 騎S8000 徐庶+馮習+典韋 騎A8000 黄忠+霍弋 弩S8000 張任 弩S8000 樊氏+李恢+龐統 弩S10000 騎馬兵と弩兵のみの編成。 漢中の防衛は関や城塞越しに火矢or貫矢が打てればいいので、弩適性A以上の将達を配置した。 またこの頃「補佐」の研究も終わっていたので陳到と趙統には修行に出てもらう。 兵数が少ないとはいえ宛と隣接している長安には馬超がいるので、宛には孫堅と劉封を残しておいた。呉国太、孫亮、費禕、馬良は許昌の内政中。 あまりプレイ日記には登場しないが、プレイヤーが蜀将の中でも5本の指に入るくらい好きな馬忠と張嶷は手分けして益州と荊州の兵站維持を行っている。 <265年8月1日~> 同盟破棄が来たのは3月だったので、おおよそ5ヶ月で梓潼を陥落させた。郭汜軍滅亡。 徐庶の「神算」と樊氏様+李恢+龐統の「連環擬似神算」で知力チートのいない郭汜軍は敵じゃなかった。 関索疾走 趙広(微収) 諸葛喬(運搬) 以上の3名を捕虜→登用に。やっと趙雲の息子2人が揃った。特技に「微収」を貰っていたが「補佐」に書き換える。 後もうひとりくらい「運搬」持ちが欲しいなぁと思っていたので諸葛喬をキープ。 梓潼側は良かったのだが……洛陽はあと一手間に合わず。゚(゚´Д`゚)゚。 法正……頼むからこっちの方向へ流れてきてくれ!(ま、やっぱりこれがフラグで河北に流れてしまったんですけどね) 木獣3台でガリガリやられたらそりゃ城はもたんよねー。貂蝉軍滅亡。 しょうが無いなぁ……と思っていたら長安の城兵が9000ちょっとしかいない。 このままスゴスゴ宛に戻っても仕方ないので、急遽、長安を襲撃することにした。 <266年2月1日~> 長安攻略。献帝擁立。堅パパが喜んでくれましたよ。 元貂蝉軍にいた傅僉(猛者)と王平(沈着)、在野になっていた伊籍(眼力)と鄧芝(論客)が自主士官。もう一枠余っていたので許昌で在野になっていた呂虔(射手)を登用。 長安の内政だが、長安はすべての開発地を農場Lv.3と穀倉にすることにした。 成都の残りの兵と梓潼の兵をすべて漢中に運搬し、漢中から涼州へと進軍開始。 天水、安定、武威にはすでに15000程度の兵しか残っていない。各将達の配置を調整し、いざ! 天水攻略部隊 趙雲+関索+董允 騎S8000 徐庶+馮習+典韋 騎A8000 曹彰+曹純+趙範 騎S8000 龐徳+傅彤 騎S8000 黄忠+霍弋 弩S8000 張任 弩S8000 樊氏+李恢+龐統 弩S8000 鄧艾+鄧忠 槍S8000 徐晃+沙摩柯 戟S8000 孫堅+劉封 衝車A8000 趙広 輸送隊 残りの兵&兵装全部 15000しか兵のいない都市にたいしてオーバーキル気味の部隊数だが、このまま天水~安定~武威を一気に攻めるつもりなので、この陣容になった。 孫堅+劉封を兵器部隊にするとどちらの特技も死んでしまうが、劉封は兵器適性が実はAなので今回は衝車担当に。 (「工神」持ちの孫亮も羅権も長安の内政に従事していたため) 同年、3月下旬天水攻略。将はすべて解放。すぐに城内に入り訓練開始。 同年、5月に安定と武威に向けて同時出陣。 安定攻略部隊 趙雲+関索+董允 騎S8000 龐徳+傅彤 騎S8000 黄忠+霍弋 弩S8000 樊氏+李恢+龐統 弩S8000 徐晃+沙摩柯 戟S8000 趙広 弩A8000 武威攻略部隊 徐庶+馮習+典韋 騎A8000 曹彰+曹純+趙範 騎S8000 孫堅+劉封 衝車A8000 鄧艾+鄧忠 槍S8000 張任 弩S8000 <266年7月1日~> 安定攻略。翌月には武威も攻略し、馬雲騄軍滅亡。 馬雲騄騎将 馬超騎神 張翼親蛮 馬謖百出 以上の4名のみキープし、残りの登用枠はじっくりと考える予定。 第六回樊氏様が新たな縛りを追加するそうです 樊氏「プレイヤーってどM?」 趙雲「ご、ごほん。樊氏様、そのような下品な言葉は控えてください……」 趙範「でも1城×3名縛りとはいえ良将が揃っちゃったのと隠し特技で神算がでちゃったから戦闘が楽になりすぎたらしいんだって」 樊氏「……で、どんな縛りを追加するのかしら?」 趙雲「もともと知力90以上は解放という縛りにしていましたが、それに付け加えて今後、統率80以上、武力90以上も解放を付け加えるらしいです」 樊氏「つまり、統率と武力に関しては子龍様未満であれば登用できたラインを統率80未満、武力90未満に下げるということね?」 趙範「そういうことみたいだよ。後、桃園三義兄弟、断金ブラザーズ+嫁も解放だって」 趙雲「実はまだ張飛殿は永安で未発見のままです。ですので、いったん張飛殿を登用したあと蔡琰軍との国境付近で追放します。 蔡琰軍には劉備様がいますから流れていけば無事登用されるはずです」 というわけで、新たな縛りを追加(?)します。 9)統率80以上、武力90以上は解放。桃園三義兄弟、断金ブラザーズ+嫁も解放。 ただし、馬雲騄軍を滅亡させた直後の登用画面で馬超は一発登用でした(武力99 ギリギリ!>趙雲は「雲梯」研究後に武力100に成長しています) 馬超「貴方こそ真の君主……光を~なんたら」 って、なんだその一目惚れっぽい台詞はwと笑ってしまいました。そのため馬超まではおkとすることにして、張郃は解放しました。 また馬岱は解放後自主士官してくれたので、統率が80以上ありますが彼まではおkということにします。 それ以外は父ちゃんの馬騰と義兄弟の韓遂、郝昭、郭淮といった名将も解放しました。 武力も80以上は解放にしようかと考えたのですが、そこまでM仕様にするのも自分的に嫌なのでw 知力チートの指定武将の内、龐統、姜維、徐庶は無事自軍に迎えることができましたが、残りの法正は河北に、賈詡は徐氏軍にいます。登用はいつになることやら……。 ここからは少し現在の他国の状況説明と、自軍の将の紹介等をやりたいと思います。 266年8月1日現在の大陸 左側から 紫=樊氏軍 臙脂=蔡琰軍 水色=大喬軍 卵色=徐氏軍 各国の詳細 君主 軍師 都市数 総武将数 兵士数 統率TOP3 武力TOP3 知力TOP3 技巧研究 隠し特技 樊氏 趙雲 22 64 22万 趙雲(99) 趙雲・黄忠(100) 龐統(100) 強弩 掎角、工神 鄧艾(96) 馬超(99) 徐庶(95) 騎射、雲梯、投石開発 鬼謀、神算 孫堅(94) 甘寧(98) 趙雲(92) 城壁強化、木牛流馬 護衛 蔡琰 郭嘉 13 212 63万 曹操・関羽(96) 関羽(98) 諸葛亮・郭嘉(100) 精鋭槍兵、大盾 水神、疾走 諸葛亮(92) 文醜・許褚(96) 荀攸・荀彧(96) 精鋭騎兵、雲梯、投石開発 神将、鬼謀 夏侯惇(90) 太史慈(95) 法正(95) 施設強化、木獣開発 大喬 周瑜 4 103 15万 周瑜(97) 張遼(94) 周瑜(98) 槍兵鍛錬、大盾、応射 掎角 張遼(94) 孫策(93) 呂蒙(94) 騎兵鍛錬、雲梯、車軸強化 工神、反計 孫策(93) 魏延(93) 魯粛(93) 工兵育成、木牛流馬 仁政、風水 徐氏 陸遜 3 70 15万 陸遜(97) 武安国(84) 賈詡(98) 精鋭槍兵、戟兵鍛錬、応射 闘神、水神 陸抗(92) 徐盛(83) 陸遜(97) 騎兵鍛錬、熟練兵、車軸強化 猛者 徐盛(88) 陸遜(81) 陸抗(89) 木獣開発 踏破、指導 圧倒的に蔡琰軍が人材の量・質共に強いです。大喬軍は文武のバランス良し。 徐氏軍は知力チートの賈詡と陸遜がいるものの、武力の最高値が武安国の(84)……。これは厳しい。 樊氏様&趙雲親子&愛$趙範の成長 名前 統率 武力 知力 政治 魅力 槍 戟 弩 騎 兵 水 特技 備考 樊氏 23 23 79 70 95 A A A A A A →深謀 知(中)1、魅(中)1、魅(高)3使用。兵科適性はオールAに修行済み。 趙雲 99 100 92 65 81 S B S S B B 統(高)1、知(中)1、知(高)2使用。戟、兵器、水軍適性をAにする予定。 趙統 73 80 70 54 68 A C A A A C →補佐 統(中)1、武(中)2、知(低)2、魅(低)2使用。弩適性Aへ。 趙広 72 80 53 53 67 B B A A A C →補佐 統(中)1、武(中)1、魅(低)1使用。武力は76まで育っていた。弩適性Aへ。 趙範 29 24 32 58 56 C C B B C C →明鏡 「明鏡」を取得してからは主に黄忠・厳顔の副将。弩適性は経験値で育った。 他に鄧忠に武(高)1使用、徐庶に武(低)1使用と特技「神算」、李恢に知(高)1使用、羅権に特技「工神」、陳到に特技「補佐」と弩適性Aを習得させています。 今後しばらくは残った能力+5や特技を他の将達にも与え、全体の底上げをする予定。また樊氏様と孫尚香と馬雲騄で義姉妹の誓いをたてようかなと思います。 襄陽以降新規に加入した将達 ※()つきはCOMが覚えさせた特技。→つきはプレイヤーが覚えさせた特技。 都市 名前 特技 備考 襄陽 蒯良 待伏 杜預 昂揚 杜預には「工神」を覚えさせようか思案中。 馮習 (騎神) 上庸 龐徳 白馬 張嶷 踏破 趙統 →補佐 新野 婁圭 築城 徐庶 →神算 顔良 威風 宛 徐晃 沈着 董厥 (射程) 劉封 槍将 汝南 陳到 →補佐 羅権 →工神 曹彰 疾走 許昌 司馬孚 (弓神) 文鴦 急襲 袁遺 指導 漢中 蒋琬 明鏡 関索 疾走 趙広 →補佐 梓潼 諸葛喬 (運搬) 呂虔 射手 伊籍 眼力 「射程」or「築城」を覚えさせようかと。 長安 王平 沈着 鄧芝 論客 傅僉 猛者 天水 馬雲騄 騎将 馬超 騎神 張翼 親蛮 安定 馬岱 沈着 馬謖 百出 閻圃 米道 気がついたら長安にいた。都市にぴったりの特技持ちなので登用。 武威 ── ── ── ── ── ── 第七回樊氏様が仲人や義姉上や皇帝になったそうです 徐晃「樊氏様、此度はこのような良縁を紹介していただきありがとうございます。花鬘殿、今後はよろしく頼む」 花鬘「こちらこそ、よろしく」 趙範「似合いの夫婦だよ~(特技的に)おめでとう!」 趙雲「お二方とも、おめでとうございます。お似合いですぞ(特技的に)」 樊氏「今後はふたり力をあわせて私の天下統一を助けてくださいね」 徐晃「心得ております。一層、我が君のために忠義を尽くしましょう」 花鬘「戦は任せて!」 登用枠も余ってたし、誰か登用しようかな~と思って顔グラの好きな花鬘を登用。花鬘、可愛いよ。 というか徐晃の副将に適当な将がおらんかったんで、花鬘がいいかな~と(他には閻行と曹植を登用した) 李厳でもいいのだが、彼は単騎で弩、戟兵のどちらもこなせる将だから副将にするのはもったいない。 結婚祝いというわけではないが、徐晃の特技を「沈着」→「明鏡」へver.UP。ついでに霍弋も「明鏡」へ。 馬雲騄軍を滅ぼした後、将の再配置を行って、許昌と宛、襄陽と江陵で軍備を整える。 また樊氏様+董允+黄忠と弩適性S+Aのメンバーは江陵で六角形に組んだ土塁に向かって乱射をしまくり、弩適性の修行と技巧Pを稼ぐ。 266年の冬以降、ほぼこんな感じで軍備の充実と能力研究の修行と土塁乱射のターンを過ごしていた。 269年春に樊氏様の弩適性がSになったので、袁遺+趙雲+馬超で「精鋭弩兵」を研究この研究後、趙雲の統率が100に成長。 長安に4万、宛と江陵に10万、襄陽と許昌に15万の兵と各都市の兵数に見合った兵装を準備し終えたのが269年の冬だった。 その後、樊氏様、馬雲騄、孫尚香で義姉妹の誓いを立てる。 馬雲騄「頼もしい義姉妹が出来て幸せです。今後ともよしなに」 孫尚香「私達がいれば勝てない戦なんてないわよ!」 樊氏 「ええ……ふたりともよろしくね。──雲騄さん」 馬雲騄「どうかしました? 義姉上」 樊氏 「あの……子龍様とは……その……婚儀とか……」 馬雲騄「(親愛設定を気になさっているのかしら?)さしたる功もないのに婚儀だなんてとんでもありませんわ。 まずは義姉上の天下統一です。それに『反三国志』の設定なら気になさらないで下さいませ」 孫尚香「かな~りトンデモ本だしね。気にしない方向でいいんじゃない?」 ちなみに新規に登用した将は功績をすべて0にしている。新入りが古参の功績を上回るのが嫌なのだ。 <270年1月1日~> 大喬軍に同盟破棄の使者を送り出し、満を持して樊氏軍は江東制圧に向かった。 第一陣 樊氏+馬雲騄+袁遺 騎S15000 趙雲+関索+馮習 騎S10000 曹彰+馬超+朱然 騎S10000 黄忠+孫登+曹植 弩S10000 趙統+蒋欽+霍弋 弩S10000 孫尚香+趙範 弩S10000 趙広+杜預+呂虔 弩S8000 陳到+孫桓+董允 弩S7000 甘寧+董厥+孫亮 投石S10000 孫権+劉封 槍S10000 第二陣 徐庶+龐統+馬謖 槍S8000 徐晃+花鬘+傅僉 戟S10000 厳顔+蒋琬 弩S7000 張任+蒯良 弩S7000 馬岱+曹純 騎S9000 姜維+文鴦+沙摩柯 騎S9000 龐徳+傅彤+婁圭 騎S10000 まずは二手に別れ、江夏と柴桑を落とす。どちらも水上から投石を打てるので陥落させることは難しくない。 4月に両都市を陥落させると、一気に廬江まで攻める。同年7月に廬江陥落。大喬軍滅亡。 どーんと9人の将を登用する。 大喬軍滅亡時にすぐに登用に応じてくれた、関平と張苞。 後から登用したのは、李典と王基(特技的にはもう十分だったのだが、知力80になっていたので登用) その後自主仕官で霍峻、陳式、糜竺、尹賞(風水)が加わった。 張苞に登用に行かせようとしていた矢先に関興も自主仕官で樊氏軍入り。 ……ここでウッカリミス。統率80以上は登用しない縛りを追加したのを忘れて、霍峻の自主仕官をおkしてしまったorz スンマセン。 彼には後方の巡察のみやってもらうことにするんで許して下さい。かなり後になって気がついてしまったので、そのまま樊氏軍に所属させています(息子の霍弋もいるし) 兵を廬江と柴桑に分けて入城させ、訓練と兵糧の補充を行った後、すぐさま虎林港を目指す。 樊氏+馬雲騄+袁遺 騎S11000 趙雲+関索+馮習 騎S10000 龐徳+傅彤+婁圭 騎S10000 徐庶+龐統+馬謖 騎A8000 徐晃+花鬘+傅僉 戟S12000 鄧艾+鄧忠 槍S10000 王平+顔良+孫皎 弩S8000 陳到+李恢 弩S10000 張任+孫桓 弩S10000 黄忠+蒋琬 弩S10000 厳顔+孫登 弩S10000 典韋+羅権+陳式 投S9000 虎林港から上陸し、二手に分かれる。が、この時(も)ちょっとした判断ミスをしてしまった。 会稽と建業を攻めて呉を挟み撃ちにするか? それとも会稽と呉を同時に攻め後方を安全にした後に建業に攻め上がるか? 蔡琰軍もすでに建業に向けて兵を出陣させている。どちらにするか迷ったが、建業はまだ兵数的にすぐに陥落するほどではなかったので、後方安全策を取ることに。 建業に向かってきている蔡琰軍は呂布&呂玲綺親子とか公孫賛とか水軍Cばかりだし。まー、大丈夫だろうと。……やっぱりこれがフラグになったのだがorz <270年11月1日~> 会稽陥落。その後、献帝から呼び出され禅譲イベントが起きる。 樊氏「……皇帝になっちゃったわ」 趙雲「おめでとうございます」 樊氏「ううん……ありがとう、なのかしら?」 趙雲「あまり喜ばしくないようですな」 樊氏「もともと皇帝を目指していたわけではないしね。……再婚相手を見つけるつもりだっただけだもの」 趙雲「そのような事をおっしゃっては……」 樊氏「あ、でも国を平和にしようとは思っているわよ。民から兵装や兵糧を差し入れてもらったし、義勇軍に来てくれた人達もいた。 そういう想いを無にはしたくないわ──再婚はそれからかしらね」 趙雲「……樊氏様は」 樊氏「なにかしら?」 趙雲「立派な君主になられた。其が考えた以上、いえ想像を遥かに超えて」 樊氏「……ありがとう。子龍様にそう言ってもらえるのが一番嬉しいわ」 趙雲「世辞ではなく、本当のことですぞ」 ~~(扉の外)~~ 趙統(あれなんか……) 趙広(父上、やるね!) 趙範(ほほ、いい雰囲気じゃない~ 樊氏様がんばれよ~!) 国名は「夏」。女性君主の国っぽく「殷」の文字を使いたかったのだが、残念ながらCSPKは好きな漢字を国名に選べない。 樊氏様は顔グラが避暑地の女性っぽいのでこの国名にした。 <271年1月1日~> 一応、呉を攻撃しながらも建業の兵数をチェックしていた。 蔡琰軍の水軍適性の低さからか、あまり兵数は減っていない。呉を落としてからでも十分間に合う……はずだった。 ごーん、という音とともにテロップが流れる「蔡琰軍が建業を陥落させry」……(;・∀・) ナン! (; ∀・)・ デス!! (; ∀ )・・ トー!!! 慌てて建業周辺の蔡琰軍を調べてみると、韓当が! 河北で珍しい水軍Sが! アンタかーーー!! どうも後詰めでやってきた韓当が、建業北の水上から投石で攻撃し陥落させたようだった。ああーーー! 面倒臭いことになったがなーーー! 急いで呉に総攻撃を仕掛け陥落させる。徐氏軍滅亡。 というか、残り二勢力になると自動的に同盟が破棄されるイベントが起きる。 それも想定して廬江は軍備を整えていたのでなんとかなるのだが、建業を取られてしまっては相当メンドイ。 その後、呉と会稽の内政はすっ飛ばして訓練と兵糧補充。速攻で建業に攻め入る。 同年6月に建業を陥落させ、大陸は蔡琰軍と樊氏軍に二分された。 色々と判断ミスから予定が狂ってしまった江東平定戦だったが、嬉しいこともある。プレイヤーが魏将で一番好きな軍師・賈詡をようやく登用できたのだ。 三国志に登場する軍師といえばまっさき思い浮かぶのは賈詡である。 あのSOSO様に直接対決でバカ勝ちしたのは賈詡と周瑜だけだし、さらに本当にまったくもって自軍が不利な状況から勝利したのは賈詡だけだ(とプレイヤーを思っている) カッコ良いな~。賈詡。計略成功時の「お手並み拝見と行こうか」って台詞が似合いすぐるw 少々ズルい気もするが賈詡の特技を「反計」→「神算」に。また長沙の下にある遺跡候補地で廟を発見したので、孫桓の特技を「鉄壁」→「射手」に変更。 江東平定後新規に加入した将達 ※()つきはCOMが覚えさせた特技。→つきはプレイヤーが覚えさせた特技。 都市 名前 特技 備考 江夏 霍峻 不屈 プレイヤーのミスにより自主仕官。 陳式 →射程 自主仕官。兵器適性Aなので。 関平 補佐 所属勢力滅亡後に一発登用。 柴桑 張苞 掃討 所属勢力滅亡後に一発登用。 関興 昂揚 自主仕官。 李典 射程 魏将で好き&能力が高いので登用。 廬江 王基 槍将 知力が80になっていたので。 糜竺 富豪 自主仕官。 尹賞 (風水) 自主仕官。特技が良い。 会稽 賈詡 →神算 三国志登場の軍師で一番好きなので。 虞翻 風水 特技が良くて知力も高いので。 呉綱 (闘神) 特技目当て。 呉 張紘 築城 主に騎馬隊の知力補佐に。 呉彦 造船 知力が85まで育っていたので。 孫静 (水神) 水軍適性を鍛える時のお供に。 建業 周昕 風水 主に江東の兵站維持を。 張昭 (闘神) 張苞や関興の副将として。 諸葛瑾 論客 蒋欽の知力補佐に。 普通ならここまでくれば後は作業ゲーである。だいたいどんな弱小勢力で始めても同じだ。 だが「1城×3名」縛りの恐ろしいところは支配都市が増えれば増えるほど、こちら側が不利になるのである。本当にきっつい戦いはむしろこれからだった……。 益州と荊南を治めていた当時は後方都市の兵站維持を馬忠と張嶷のふたりに任せておけば十分に間に合ったのだが、さすがに28都市になるともう2人ではおっつかない。 また支配都市が増えれば疫病や蝗災害が起きる可能性も高まるので、その分の余剰人員も必要だし、2~3箇所での防衛戦を行いながら軍備も整えなければならない。 樊氏軍が君主の樊氏様を入れて85名なの対し、蔡琰軍はその3倍近い250名弱。そしてその中には呂布と関羽と周瑜と陸遜と諸葛亮とSOSO様がいるのである。 幸いSOSO様と対戦したのは防衛戦中に一度だけだったが、副将に周瑜や孔明をつけた呂布や関羽なんて欠点がなさ過ぎてどうしようかと思ったw 271年6月に江東平定してから次に出陣するまでおおよそ3年の間、許昌~陳留と廬江~寿春での防衛戦を行うことになる。 許昌には洛陽からも兵を送られ、時には建業や呉を下邳から狙われたりしつつも、主にこの2箇所での防衛戦がメインとなった。 第八回樊氏様が河北の地に上陸するそうです に続きます。 ここまでお付き合いいただきありがとうございます。 樊氏様の婚活その4はこちら ご意見、コメント等ありましたらこちらにお願い致します。 王異は天水の在野確保して漢中に逃げれば☆2ぐらいまで減りますね(私のプレイの感想) -- 名無しさん (2011-05-07 16 21 43) 空白地と在野だらけだから、難易度は有って無いような物。てか、仮想シナリオの難易度設定適当過ぎるしw -- 名無しさん (2011-05-07 18 39 17) 2↑の方>そうなのですか~。王異はまだプレイしたことがないですが、漢中を取れるのはいいですね。 ↑の方>特に縛りを設けないなら樊氏軍は空白国・在野が取り放題なので☆1といっても過言ではないですね -- プレイヤー (2011-05-07 19 33 11) 編集中だったせいか書いてくださったコメントが消えてしまいました。申し訳ありません。気が向いたらまた書いてください。 -- プレイヤー (2011-05-07 23 04 36) 張嶷と馬忠好きですか。ここからは僕の予想ですが、張翼も好きで登用したんじゃないんですか? -- 名無しさん (2011-05-08 08 09 42) ↑この3人渋いからねえ。結構好きな人いると思う。 -- 名無しさん (2011-05-08 09 12 30) 2↑の方>張翼も好きですね。すでに登用している霍弋とかも蜀将の中で好きな将です。 -- プレイヤー (2011-05-11 16 15 30) 当たったwww -- ↑×3 (2011-05-11 18 45 54) 日記だけ読んでると、将や軍備が縛りプレイとは思えない充実度ですごいと毎回思っていますが、やっぱり後方都市がネックになるんですね -- 名無しさん (2011-05-13 21 11 33) この調子で頑張れ! -- 名無しさん (2011-05-13 21 42 26) 闘神持ちの張昭ってw性格だけなら闘神でもいいかもしれんが・・・w -- 名無しさん (2011-05-13 22 16 37) 張昭に槍神ついてた時はワロタ -- 名無しさん (2011-05-13 22 21 58) 昔プレイした時に覇王の劉禅が居たな・・・ -- 名無しさん (2011-05-20 23 11 38) 5↑の方>後方都市の治安維持が一番大変でした。 4↑の方>ありがとうございます。もう少しで統一なのでがんばります。 3↑&2↑の方>最初はワロタ状態だったのですが、意外にも使い勝手が良かったですw ↑の方>覇王は能力を問いませんからありといえばありですがw -- プレイヤー (2011-06-07 15 31 10) 細かい事ですまないが、羅「憲」だと思うんだ。 -- 名無しさん (2011-10-22 00 04 13) およそ6年半の修正、ご苦労様です。 -- 名無しさん (2018-04-08 17 29 34) ↑間違えました。訂正します。 -- 名無しさん (2018-04-08 17 30 34) 「6年半越し」でした。 -- 名無しさん (2018-04-08 17 34 17) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/dffnt/pages/39.html
連携 対策 連携 連携力:★★★☆☆ 耐久力:★★★☆☆ 皇帝自身の弾が遅く、多くの技をマスターしたいバッツの動きとかみ合わない可能性は高い。 しかし、敵の硬直に黒魔2段から雷の紋章or棘といった遠隔コンボや魔剣2段拘束からの棘が容易なので、決して悪い部類ではない。 現在は、皇帝がほかのシュートに対して少し弱いので、カバーすることも出来る。 皇帝が主軸となるので、拘束に有用な魔剣・黒魔、削りに有用な竜騎士・忍者辺りのマスターを優先し、カバーするといい。PTなら青魔導士でも可。 備考だが、いんせき中の相手にマイスト侍を決めれば1600出るので、相手がブレイクさえしていなければ基礎値からワンパンで倒せたりもする。 おすすめHP攻撃:侍 検証したいHP:ナイト 対策 バッツが見る必要性:★★★★★ シュートは強判定が、近接は弾幕が苦手なため、どちらも突破できるバッツが率先して見てあげるといい。 基本:ほぼ全ての攻撃で足が止まるので黒魔道士や竜騎士。タイミングはステップ狩りか攻撃読みで行う。慣れれば風水士の「じしん」も狙いやすい。 接近時:自衛読み黒魔かマスター忍者。踊り子で強引に突破するのも手。 密着時:モンク・魔法剣士等の近接ブレイブ攻撃(この時点でガードかステップを多用してくる為。侍は避けられる可能性が高い) おすすめのブレイブ・HP攻撃:竜騎士・黒魔道士・マスター忍者・風水士「じしん」・踊り子
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/98.html
編集 曹操は、後漢末、魏の人物。 情報 曹操 姓氏 曹 諱 操 字 孟徳 本貫地 沛国譙県 家柄 譙県曹氏 前漢相国曹参の後裔 父 曹嵩 誕生 永寿元年 幼年評 一名を吉利、小字を阿瞞。少くして機警、権数を有し、任俠放蕩して行・業を治めず。故に世の人未だこれ奇とせず。 起家 孝廉郎 官歴 洛陽県北部尉 頓丘県令 議郎 騎都尉 済南国相東郡太守(不就) 典軍校尉 驍騎校尉 行奮武將軍 終官 丞相 爵位 魏王 評 天下まさに乱れんとす。命世の才に非ずは濟(すく)う能わざる也。安じ能う者。其れ君に在りか!(橋玄) 神武明哲(荀彧)、佻易にして威重無し。被服は軽綃。酷虐変詐(曹瞞伝) 死去 建安二十五年正月庚子 洛陽県 享年 66歳 追贈 諡号 魏武王 後、武皇帝 廟号 太祖 号,渾名 曹瞞、 死後評 終に皇機を能く総御し、洪業を克成せしは、ただ其の明略の最も優なり。いったい非常の人、超世の傑と謂うべきか。(陳寿) 事跡 所属項目(タグ) 人物 後漢 人物 後漢末 人物 魏 関連項目・人物 「曹操」をタグに含むページは1つもありません。 編集 -
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/36735.html
登録日:2017/04/26 Wed 00 56 30 更新日:2024/05/02 Thu 16 18 28 所要時間:約 22 分で読めます ▽タグ一覧 コミュ障 スキャットマン トウ艾 三国志 三国志演義 不遇 中国史 吃音 名将 地図 山越え 政治家 文官 曹魏 機種依存文字 武将 簀巻き 老将 軍事財政共にイケる…が、空気だけ読めなかった人 遅咲き 高性能じいちゃん 魏 トウ艾(とう-がい)(?-264) 字は士載。 荊州、義陽の人。 ※トウは機種依存文字で、登+おおざと。本来の表記は「鄧艾」。 【下積み時代】 荊州の大都市、義陽の出身。死没時の年齢から逆算するに、190年代後半の生まれだと推定される。208年に曹操が荊州を制圧すると、母親や一族と共に遠く離れた汝南に農民として移住した。 父親は早くに亡くなっており家庭は貧しかったが、どうやら教育を受けられる程度の家格ではあったらしく(*1)、後に県の職員として採用されることになった。 といってもスタート時の身分は都尉学士、つまり町長のお供・兼・役人候補生といったところで、まだまだ正規の役人ですらない身分だった。 その後候補生ではなく正規に役人となるが、その役職は稲田守叢草吏、つまり町の税務署(兼農協)の下っ端役人と言ったところであり、やはり出世とは縁遠かった。 【まだまだ下積み時代】 若い頃のトウ艾は、かつて御者(運転手)として仕えたこともある名士郭玄信から「君の才能ならいずれ宰相にまでなれるだろう」と評され、また本人も軍事的に重要な地形を見ると測量して戦術を練るなど高い志をもっていたのだが、 しかし現実としては地方の小役人という立場に長く甘んじていた。 というのも彼は前述の通り背景もない貧家の出であり、またかなりきつい吃音症だったので、同僚や上司からはその点を馬鹿にされてなかなか評価されなかったのである。 このためトウ艾は、かなりの年齢(30代後半~40代)までを徴税・農業分野の地方役人として過ごすことになるが、それでもその優れた才能から少しづつ出世はしていき、最終的には上計吏にまでなっている。 上計吏とは地方の会計を中央に報告し、同時に質問に答えたり指示を受けたりする職で、地方官僚ではあったが中央の要職にある人に接する機会が多く、彼らに認められれば中央の出世コースにも乗れる立場だった。 そしてある年、この職務の為に洛陽に赴いたトウ艾は文字通りの「中央の要職にある人」の目に留まり、その才に着目した彼によって掾(属官)として迎え入れられることになる。 そう、当時大尉(国防大臣)として位人臣を極めていた司馬懿その人である。 【司馬懿の下で】 司馬懿によってようやく中央でのエリートコースに乗ったトウ艾は、徐々にその才能を天下に示し始める。 トウ艾が最初にその名を高めたのは、司馬懿から対呉戦線の視察のために南方に派遣された時の事。 現地を視察したトウ艾は「土壌は豊かだが水が足りていません。運河を作って水さえ引ければこの土地の収穫は跳ね上がるし、輸送の役にも立つでしょう」と司馬懿に進言した。 またトウ艾の報告はそれだけに留まらず「この地は豊かな収穫の可能性があるだけではなく、兵站拠点としても非常に優秀であり、対呉戦で大いに役立つと思われます」と具体的な数値を算出して説いてもいる。 司馬懿はこの報告を高く評価し、全てその通りに実行した。これによって対呉戦線には極めて強固な拠点ができ、また同地は水害もなくなり収穫量も上がって豊かな土地になることができた。 【武官デビュー】 こうして行政官として出世していったトウ艾は、ついに南安の太守に昇進した。また同地は蜀漢と面する最前線の一部であったため、同時に軍事面での役職・権限も与えられた。 249年になると、蜀漢の姜維が何度目かの北伐をかけてきたため、トウ艾も対蜀戦線の総指揮官であった郭淮の元でいよいよ実戦に参加することになった。 この戦い自体は、数と地の利を活かした魏軍に対して姜維が殆ど何もできずに引き下がる形になったが、それを見た郭淮は、今のうちに姜維に呼応した西の羌族を討伐しようとする。 しかしトウ艾はこの時「姜維は後退はしていますが、まだそこまで離れてはいません。好機と見れば引き返してくるかもしれません」と進言。 郭淮はこれを受け入れてトウ艾を守将として残したため、予想通りに引き返してきた姜維と、川を挟んで守りを固めたトウ艾との戦いが始まることになった。 姜維は廖化にトウ艾の軍を引き付けておくための陽動を命じて、自身は後方にある別の城を急襲しようとしたが、トウ艾は廖化の動きの鈍さからこれをあっさり看破。 大胆にも防衛線を放棄し、姜維の目的とみられた後方の城まで後退した。 この判断は功を奏し、城を狙っていた姜維は先んじてトウ艾が守っているのを見てこの攻略をあきらめ、今度こそ本当に撤退することになった。 初陣にして大戦果を上げたトウ艾は討寇将軍に昇進し、以後は軍事分野でも大いに活躍することになる。 【司馬家の重鎮】 司馬懿の死後もトウ艾はその子司馬師に重用され、城陽太守、汝南太守、兗州刺史と地方長官職を歴任しつつ、豊富な経験から来る的確な献言で彼を支えた。 トウ艾はこの時期司馬師に対し 「戦に勝つためには軍が強くなければなりませんが、軍を強くするためには農業生産力が高くなくてはいけません。国を強くするためには軍の前にまず民と農業です。人材を評価する際にはここを念頭に置かねばなりません」 と進言し、農政の重要さを説いている。 また長く地方で農業の実務に携わってきたトウ艾は自身の農政能力も抜群であり、各任地では的確な農業政策を施してその生産力を高め、次々と豊かな拠点に変えていった。 そして50代も後半に突入していたトウ艾だったが、軍事面でもその活躍は全く衰えなかった。 255年に起きた大規模な司馬家への反乱(カン丘倹・文欽の乱)では終始主力として活躍し、カン丘倹のかく乱工作を阻止したり、文欽軍を壊走させたり、呉からの援軍を防いだりと大戦果を挙げている。 【VS姜維】 しかし司馬師やトウ艾が南の方に注力している間に、西の対蜀戦線はえらいことになっていた。 253年に丞相費イが暗殺された後、督中外諸軍事となって軍権を掌握した姜維は積極的な北伐を敢行しており、魏に無視できない損害を与えていたのである。 まず254年には魏側の裏切りに乗じた形で3つの県が奪われ、阻止に向かった魏軍も大損害を受けて撃退された。 そして続く255年にはトウ水沿岸における戦いで雍州刺史王経が姜維と戦い、壊滅的な大敗北を喫した。この戦いで失われた兵士は万を優に超える数で、魏としては蜀漢の北伐が始まって以来の大損害となった。 更には姜維の活発な攻撃に伴い、これに呼応した西の羌族もまた不穏な動きを見せはじめていた。 魏にとっては割と洒落にならん危機的状況であり、トウ艾も仮節・安西将軍として急遽西に送られることになった。 しかし同地では「まあ負けたけど、所詮蜀だしこの程度が限界だよね」という楽観論が支配的であったため、トウ艾はブチ切れて 「姜維を舐めるな!こっちは大損害を受けているから絶対また来るぞ!すぐにでも来る!」 と叱咤して各地の防衛を、特に姜維の最優先目標と判断した祁山を重点的に固めた。 翌256年、姜維はトウ艾の予想通り祁山に攻め寄せてきたが、既に防御を固められた祁山の守りは固く、その周辺で多少の小競り合いをするだけに終わった。 やがて攻勢の限界に達した姜維は撤退し始めるが、しかしトウ艾はこれに抜かりなく追撃をかけ、段谷というところで姜維を捕捉し大打撃を与えて壊走させた。 蜀漢はこの戦いで万を超える将兵を失い、その勢いを完全に失った。また国内でも敗北した姜維への批判が大きくなって国論が分裂し、以後は一方的に衰退の道を加速していくことになった。 これ以降も姜維は何度か来襲してきたが、最早その軍に往時の力はなく、ことごとくトウ艾によって防がれる結果に終わっている。 それに対し、トウ艾は持ち前の行政能力を発揮して現地の経済力・防衛力の強化に励み、隴右地方を対蜀漢の一大拠点として飛躍的に成長させていった。 【征蜀】 段谷での大勝利から数年が経過すると、蜀漢は北伐推進派と反対派の激化する内部対立、なのに何をするわけでもない政治に無関心な君主、それをいいことに跳梁する宦官、と亡国フルコンボ状態に陥りつつあった。 これを見てとった魏の大将軍司馬昭は、今こそ蜀漢を滅ぼす好機であるとその意思を周囲に示した。 トウ艾は時期尚早と見たのかこの時期の侵攻には反対していたが、計画は司馬昭本人と鎮西将軍鍾会によって進められ、263年5月に決行されることになった。 しかし計画立案に関与しなかったのが祟ったか、この戦いでのトウ艾は初戦で姜維軍の拘束に失敗し、後退して難攻不落の剣閣要塞にこもる隙を与えてしまう。 姜維が守る剣閣はそのまま鍾会が攻め続けたが、その守りは固く、このままではらちが明かないとみたトウ艾は、司馬昭に 「敵の虚を突くべく、思ってもみないルートから敵の重要地点を強襲すべきです。一気に攻略できなくとも、剣閣に籠る戦力を分散させることはできます」 と進言し、自らその役目を買って出た。 トウ艾は侵攻ルートに無人の地である陰平道を選ぶと、ハンニバルのごとく山岳地帯の道なき道を無理やり強行突破する。 当然ながら軍どころか人間一人すらまともに通れるような地形ではなかったためその行軍・補給は困難を極め、犠牲も強いられたが、これによってトウ艾たち奇襲隊は見事蜀漢の虚を突くことに成功。 剣閣を越えた先にある江油関という砦に満身創痍でたどり着いたところ、守将馬邈があっさり降伏してこれを奪い取った。 このトウ艾の離れ業とも言うべき奇襲に蜀漢は慌てふためき、援軍として北に向かっていた諸葛瞻(諸葛亮の子)を急遽転身させて迎撃に向かわせる。 諸葛瞻は懸命に戦って一度はトウ艾を退けるが、2度目の攻撃には耐えられずに壊滅。 蜀漢の首都を守る戦力は完全に失われ、トウ艾はそのまま首都である成都へと進軍して、劉禅を降伏させた。 時に263年11月、蜀漢はここに滅亡し、三国鼎立の時代は終わりを告げた。この大功を賞し、トウ艾はついにかつての司馬懿と同じ、大尉の階級を与えられている。 既に70歳になろうとしていたトウ艾の最大、そして最後の大戦果だった。 【敵国破謀臣亡】 成都に入ったトウ艾は兵士に略奪を禁じて民心を安定させると、司馬昭に対して 「まずはこの蜀の地を上手く統治して軍を回復させ、やがては水軍を使って呉へ侵攻すべきです。そのためには降伏した劉禅を厚遇して人心を安定させるとともに、呉の皇帝孫休に対しても彼への寛大な処置を見せつけておくことが重要です」 と進言。そして独断で劉禅に行驃騎将軍の役職を与えてその財産を返却し、またその王子や重臣たちにも魏での階級を与えていった。 しかしいくら「戦時には前線の将軍には独断が許される」のが常識ではあっても、流石にこれは越権行為であった。第一既に蜀漢は制圧されて戦は終わっており、上に判断を仰ぐ時間がないわけでもない。 この事後報告を受けた司馬昭も「ちょっと自重しろよ」と注意したが、トウ艾は「この機を逃してはなりません。私は決して国家の損害になるようなことは致しませんのでご安心ください」と独断で事を進めることをやめなかった。 そしてこの両者の不協和音につけ込んだのが鍾会、胡烈、衛カンといった、「トウ艾に1番手柄を取られてしまった」将官たちだった。 彼らは揃って「トウ艾に反乱の気配あり」と司馬昭に何度も訴えたため、ついには司馬昭もこれを信じてトウ艾の解任と逮捕、そして首都への送還を決定した。 トウ艾は司馬懿に見いだされて出世コースにのり、そのまま司馬家3代に忠実に仕えてきた宿老である。 司馬昭からすれば反乱の疑いなど笑い飛ばせそうなものだし、現にこの命令にトウ艾が素直に従っているところから考えても、反乱の意思などなかったのは間違いない。 しかし司馬昭には重大な弱みがあった。彼は260年、主君であった皇帝曹髦を殺しているのである。 始皇帝が初めて皇帝を名乗ってから500年近くがたっていたが、この間に皇帝弑逆という究極の大罪を犯した臣下は、秦の元祖悪徳宦官こと趙高、後漢で跋扈将軍と罵られた梁冀、このわずか2名のみ(*2)。袁術陛下も病死だし まして司馬昭の場合、梁冀の様に裏でひっそり暗殺したわけですらなく、自らを逆臣として排除しに来た皇帝を返り討ちにして白昼堂々ぶっ殺してるわけで、どう考えても言い訳のきかない超大逆行為だった。「趙高のように自分から攻め込んだわけではない」といっても弁護にならないだろう。 仮にこの時代「秦漢魏ぐう逆(ぐうの音も出ないほどの逆臣)ランキング」を作ったりしたら、王莽や董卓あたりとトップの座を争えたこと間違いない。 つまり当時の司馬昭にとって、「逆臣司馬昭を討つと言って○○が挙兵しようとしています」と言われると、冗談では済まないリアリティを持ってしまう状況にあったのである。 しかし現実はさらに非情で、実際に挙兵したのはそのトウ艾を陥れた鍾会の方だったわけだが… トウ艾が逮捕されて都へ送られる途中、代わりに成都に入った鍾会は姜維と組み、打倒司馬昭を呼号し反乱を起こした。 この反乱はほどなくしてあっさり失敗するが、トウ艾への処置に怒っていた直属の部下たちは、上司を開放すべくこのどさくさに紛れて護送車に追いつき、彼と息子のトウ忠を救出した。 しかし反乱を鎮圧した軍監衛カンはトウ艾を逮捕した張本人でもあり、後に復讐されることを恐れてこれを襲わせ、息子のトウ忠もろとも彼を殺害した。 こうして264年1月、トウ艾は申し開きをする暇すら与えられずに反逆者として殺されてしまった。 洛陽にいた他の子どもたちもこの罪に連座して司馬昭に処刑され、妻や孫たちも流罪とされている。 【人物】 長い実務経験を背景に、軍人としては勿論、行政家、農政家としても高い手腕を発揮したマルチな人であり、いずれの仕事をさせても同時代でトップクラスの評価を得ていた。 軍事と違って内政というのは即座に結果が出るようなものではないが、トウ艾が自ら統治した地域はいずれも短期間のうちに急速な成長を遂げている。 特にトウ艾が隴右地方の拠点化に成功したことは、蜀制圧における最大の成功要因だったとすら言える。驚くべき行政手腕である。 後漢~晋にあたる時代は貴族制確立への過渡期であり、トウ艾のような低い身分から出世した人物にとっては非常に風当たりが強い時代だった。 ましてトウ艾の場合は吃音というハンデまで背負っていたのであり、そんな中を実力のみで出世したトウ艾の才能はまさしく驚異的と言えるだろう。 しかし一方で対人スキルはかなり壊滅的であり、その性格に関しては「強情」「性急」「無神経」「傲岸不遜」「自画自賛」「独断専行」など、なかなかお付き合いをためらってしまうNGワードが頻出する。 出自の低さもあって、(相応の身分から出ている)同僚や部下達とも非常に仲が悪く、トウ艾を慕っていたのは直属の部下と同郷の友人たち、そして長く同僚・戦友として共に蜀と戦い続けた陳泰ぐらいしかいなかった。 そしてこのコミュ力の低さは結局、彼に悲劇的な最後をもたらすことにもなった。 後の晋の時代、かつてトウ艾の部下だった段灼という人物が皇帝司馬炎に対し、 「トウ艾は決して謀反しようなどとしたわけじゃないんです。ただ強情でコミュ障でぼっちだったから、誰も彼をかばってくれなかっただけなんです」 と割とひどいことを言って彼を弁護しており、「三国志」の著者である陳寿も「素晴らしい才能と実績を持っていたが、身を守る配慮が無かったので命を落とした。諸葛恪を手厳しく非難していたが、ぶっちゃけおま言うである」(意訳)と断言している。 それ以外に伝わっていることとして、豚足が大好きで食卓には毎日豚足を出させていたという。 料理人も鄧艾が飽きないようにと、鄧城葉氏猪蹄という豚足に複雑な味付けをする技法が編み出され河南省の無形文化遺産となっている。 【家族】 『トウ忠』 嫡男。蜀漢制圧時には父の部下として武将を務めるが、蜀のMr.七光りこと諸葛瞻の守りを突破できずに引き下がるというかっこ悪い所を見せてしまう。 しかし父に「諸葛瞻は強い……まだ勝てない……」と正直に話したところ、「殺すぞ」という身も蓋もない恫喝を受け慌てて命乞いすることに。 そして次の日は死に物狂いで諸葛瞻のこもる綿竹関を再攻撃し、ついにこれを制圧するという戦果を上げた。 しかし蜀制圧後は父親と共に反逆者として逮捕され、前述の通り衛カンに殺されている。 後に彼の子は司馬炎にその罪を許され、宮廷に復帰している。 創作では妙に優遇されており、三国志演義では役者のような白皙の美青年として登場し、姜維と一騎打ちをしてこれを圧倒するという凄まじい強さを見せつけている。 また「若イケメンこそ正義」な現代サブカル分野では人気が沸騰中で、特に中国の三国志関連ではこの手の息子キャラの中で1.2を争う人気を集めているようだ。 【創作作品におけるトウ艾】 三国志創作界隈におけるトウ艾は、一言で言うと「輸入型」に属する。 つまり張飛や趙雲などのように、大衆向けの講談・戯曲・演劇といったメインストリームで成長してきたキャラ達とは異なり、本来別系統の創作で目立っていた人がスピンアウトされて入ってきた感じのキャラである。 同じような経緯をたどって三国志系に「輸入」されてきたキャラには関索、周倉、曹植、左慈などがいるが、トウ艾の場合は彼らと比べても非常にその時期が早い。 @演義以前@ トウ艾の三国志創作への登場は、現代の知名度からは想像もできないほどに早かった。 その時期はなんと唐の時代、つまり三国志創作がジャンルとして確立し始めた草創期にまでさかのぼる。 当時の魏の将でレギュラーだったのは曹操本人、張遼、司馬懿、そしてトウ艾ぐらいのものであり、まさしく破格の扱いだったと言える。 なぜここまでの扱いを受けていたのかと言うと、それはひとえに彼の「知名度の高さ」故である。 当時の中国におけるトウ艾の扱いは以下のような感じだった。 ◆「エリート層のトウ艾像」 儒教的教養のある層からは、トウ艾は「魏晋時代の悲運の名臣」として有名だった。 「国に忠誠を尽くした忠臣だったが、讒言を受けて陥れられた」トウ艾は、ある意味士大夫にとって理想とするタイプの人なのである。 漢民族は本来、実務能力と同じぐらいに保身の能力を重視する。 彼らは国家に責任を持っているが、同時に家、つまり先祖にも責任を持っているからである。漢民族にとって家の祭祀を保つと言うのはそれほどに重いのだ。 なので「いくら功績を上げても、家が守れないんじゃねえ」というのが士大夫の公式見解なわけだが、しかし同時に「でも実はそのスジ通すところにちょっと憧れるかも……」と言う密かな本音もある。 そういう感情が「白起とかトウ艾とかいいよね……」「いい……」的な感じで密かな憧れとなるのである。 ただトウ艾は出自が貧しいため、晋~唐にかけての貴族社会ではマイナス方向へのバイアスも小さくはなかったが、いずれにしても士大夫層での知名度は非常に高かった。 ◆「庶民のトウ艾像」 そして庶民、あるいは土豪などの低い身分の人々にとっても、トウ艾は三国志モノに登場する前から高い知名度を誇っていた。 しかしそれは武将としてではなく、もちろん政治家としてでもなく、なんと神様としてであった。いや、もっと正確に言うなら「怨みを呑んで死んだ祟り神」とみなされていたのである。 詳しく説明すると、まず中国の道教には古くから「厲(れい)」という宗教概念がある。 これは「非業の死を遂げた大人物の霊は瘟神(おんしん。疫病神のこと)となり、生きている人に疫病や天災などの災厄をもたらす」と言う考え方で、日本の怨霊信仰の源流ともいわれる古い民間信仰である。 「寒門の出から実力で立身し、敵を撃ち滅ぼして大功を挙げたが、無実の罪で無念の死を遂げた」トウ艾は、まさしくこの厲の条件にぴったりハマる存在だった。 唐代のオカルト系道教書には「大鬼主トウ艾」という恐ろしい名前で記載されているほどで、完全に瘟神の中でもボスクラスに出世していることがわかる。 この祟りを恐れた民衆、特に蜀や隴右の人々によってトウ艾は篤く信仰されており、これが高い知名度に繋がっていたのである。 とまあこういった感じに幅広い層で知られていたトウ艾は、三国志系の作品で「曹操サイドの将軍」として登場させるのに便利だったというわけ。 しかし当時の三国志創作は到底歴史創作と呼べるようなものではなく、どちらかというと歴史上の人物が登場するエンタメ作品であり、その人格や業績などはほとんど再現されていなかった。せいぜい「吃音」という要素が強調されていたぐらい。 これはトウ艾に限らず、張飛や孔明、曹操などと言った他のメインキャラでも同様である。 @三国志演義@ 元代になると、それまでに蓄積されてきた講談や戯曲などの三国志系創作を寄せ集め、一つの歴史物語として編集していく流れができた。これによって生まれたのが「三国志演義」である。 三国志演義ににおいて敵役である魏将は割とぞんざいな扱いを受けることが多いが、そんな中でトウ艾は比較的好待遇を受けている。 ▼「若い」 史実で言えば長坂の戦いの頃にもう生まれているトウ艾の方が5歳ぐらい年上だが、なぜか姜維から「小僧」呼ばわりされる年齢になった。 でも若武者枠は息子のトウ忠が持っていく感じなので、青年と言う感じでもない。 ▼「強い」 初登場シーンからして「司馬師の陣を奇襲して無双している文鴦の前に颯爽と現れ、一騎打ちを演じてこれを退ける」という美味しい場面であり、その後姜維とも2度にわたって互角の一騎打ちを繰り広げている。 ちなみに息子はもう少し強い。 ▼「賢い」 軍を率いても強く、対姜維戦に投入されると、その知略でそれまで優勢気味に進めていた姜維の北伐を一気に打ち砕く活躍を見せた。トウ艾改善は賢く強い! しかし姜維も孔明同様、「負けたけど敵将を倒したので痛み分け」「勝ってたけど讒言で呼び戻された」「オリジナルの戦いが追加されてそこで勝利」などのセーフティが高確率で作動するので、物語上はそこまで強い印象は受けない。 互角かやや有利といった感じ。 ▼「出世頭、吃音」 再生怪人ばりに出てきては使い捨てられるのが基本の魏将としては珍しく、「幼くして父親と死に別れ、周囲の人々からも認められなかったが、司馬懿だけがその才能を認めて高い地位につけた」と、そのキャラ背景まで語られている。 また「吃音だった」こともちゃんと劇中で触れられてはいるが、彼の発言が実際にどもることはない。古い講談や戯曲などでは(ギャグ的な扱いで)どもっていたようだが、演義成立の際には削られてしまったようだ。 ▼「特に性格に難がある人物ではなくなった」 演義のトウ艾は道徳的にも立派な士大夫であり、史実のようなコミュ障な面は抑えられている。 せいぜい蜀を制圧した後に「大将が呉漢でなくてよかったな、呉漢だったらお前らもう死んでるぞ」(*3)と自慢げに言ったぐらい(これは正史にもある)。 とまあこんな具合で、演義終盤の主役の一人として申し分ないキャラに仕上がっている。 しかし正史要素が加わったことでキャラとしては大きく躍進した反面、登場シーンそのものは大幅に減ってしまった。 古い時代はそれこそ長坂の戦いにも平気で出ていたりしたのだが、三国志の登場人物として組み込まれた以上、流石にそういう時代無視プレイもできなくなってしまったのである。 なのでこれ以降のトウ艾は、「キャラが立つにつれて出番が減る」という珍妙な現象に悩まされることになった。 @それ以降@ 創作としてみた場合、三国志の主役は何といっても劉備達桃園3兄弟+孔明であるのは間違いない。 このため活動時期が彼らとかぶらないトウ艾は、どうしても三国志創作のメインストリームではプッシュが弱くならざるを得なかった。 また時代を経て蜀漢正統論(魏は簒奪者であり、劉備の蜀漢こそが正統な王朝であるとする考え)が力を持っていくに従い、トウ艾への好意や信仰も薄くなっていった。 彼が忠誠を誓うのが魏の皇室ではなく、すでに簒奪ムードに入っている司馬氏だというのもネックか。 悪役の簒奪王朝をさらに簒奪しようとしている悪党のもとで、しかも主人公側の国に引導を渡すという活躍を見せられても、読者としては感情移入しづらいだろう。 現代になるとアニメやゲームなどの新しいジャンルの創作が躍進しているが、やはり登場期間という致命的な問題はいかんともしがたく、あまり目立つ存在とは言えない。 むしろ物語を見る目がシビアになった現代では、(はっきりいってあんまり面白くない)孔明死後の展開はきっぱりと切り捨てられることも多く、なおのこと状況は厳しくなっていると言えるかもしれない。 だが出てきた場合は基本的に優遇され、文武両道のナイスミドルである事が多い。 性格も真面目ながら、吃音持ちかつコミュ障な事をアレンジし「口下手」「冗談が下手」「物事を率直に伝えがち」なキャラになる事が多い。 『横山三国志』 多くの三国志演義系作品同様、孔明死後の扱いはとってもぞんざい。孔明の死から蜀滅亡までの約30年間を最後の1巻、話数にして11話だけで突っ走っている。 トウ艾も263年の蜀制圧直前に唐突に初登場し、 姜維「さあ来いトウ艾!俺は実は剣閣を迂回されただけでで死ぬぞオオ」 トウ艾「チクショオオオオくらえ姜維!難所行軍(※三国志11)!」 姜維「グアアアア!この麒麟児と呼ばれる姜伯約がこんな小僧に……」 トウ艾「この後にまだ俺の逮捕とか呉の滅亡とかがあった気がしたがそんなことはなかったぜ!」 こんな感じでフェードアウトする。 横山三国志は作画資料として中国で出版されていた二種類の連環画(絵本)を参考にしているのだが、トウ艾はなぜか連環画と違って周倉型のヘルメット兜になっている。 本来の連環画ではトウ艾は所謂「コーエー三国志式」のつばが反り返った帽子のようなアレを被っているのだが、これは恐らく横山先生が帽子のつばの反り返り部分を、下から見たつばの裏側と見間違えたものと思われる。 『コーエー三国志』 連環画由来の例の帽子がソンブレロ(メキシカンが被ってる例の帽子)に似ているということで、ドンタコス呼ばわりされている。IIIの頃から欠かさず被っているところを見ると相当にお気に入りのようだ。 性能的には魏でも屈指の強武将であり、統率・武力・知力のトータル部門では関羽・趙雲・姜維らと毎回トップを争えるレベル。 能力傾向としてはライバル姜維に酷似しており、3つの数値が満遍なく高いバランス型。しかし基本的に統率でわずかに上回り、知力でわずかに下回る傾向がある。 しかし姜維は7あたりから急激に政治の数値が低下したため、政治や魅力を併せた合計ではトウ艾がほぼ勝っている。まあトウ艾はトウ艾で魅力があまり高くないので僅差だが。 『三國無双』シリーズ 5までのモブ武将時代は無双演舞で三国志後期の描写が殆どなかった(基本的に五丈原と合肥新城が最終ステージ扱いだった)ため、本編ではかなり地味な存在。 しかしモブにも個々でステータスが設定されるEmpiresシリーズでは例外的に能力が異様に高く、名将としての貫禄と存在感を保っていた。 6で北伐以降の後期魏武将で構成される「晋」勢力の実装と同時に、その所属武将として脱モブを達成。CVは小原雅人。 武官としての活躍時期が50代以降と言う史実を反映してか、若いイケメンが多い近作ではめずらしいおっさん顔。 しかも黄蓋にも負けないガチムチ体型の持ち主というかなりいかついビジュアルだが、性格は非常に真面目で落ち着いた常識人。 史実由来で元は文官という設定もあるが、なんでも「任務で力仕事をこなすうちにこうなった」らしく、そのムキムキの肉体を活かした必殺関節技も見せてくれる。 6以降のタイトルでは自由な武器持ち替えができるためキャラ性能の差はやろうと思えば均一化はできるが、 得意武器の螺旋槍は見た目がドリルで「全攻撃がガードブレイク」という特性を持つ凄まじい重量武器。 一方で固有性能の無想乱舞などはまあ可もなく不可もなく、しかし関節技があるのでロマンはあり、といったところ。 7empiresでは螺旋弩というガトリング砲に持ち替えたが、こちらも癖はあるがなかなか強力。稲姫最終形態。 吃音・コミュ障といった部分については流石に再現されていないが、そもそも前述の通り演義の時点でもろくに採用されていない要素なので、原作通りと言えなくもないかも。 『三国志大戦』シリーズ イラストごとにキャラ付けも能力も異なる本作だが、知勇兼備のイケメンで共通している。 旧版では2からの登場で、高知力の伏兵持ちかつ張遼の持っていた「神速の大号令」の短時間版で小出しにしやすい「刹那の神速」で大暴れ。 しかしやりすぎたあまり3ではエラッタが施され、計略も自分が相手から見えなくなる単体強化の「隠密の神速行」にされた。 新版でも同様のスペックで再登場しているが、新たに晋勢力が追加されたことでそちらでも登場。 いずれも自身の武力と速度が上がることは共通している。 また遊軍が追加された際にはそちらでも出ており、どの鄧艾を使うかでプレイヤーの頭を悩ませている。 『追記:修正だ!』(ヘッドシザーズホイップをきめながら) △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 鄧艾ナイスガイ -- 名無しさん (2017-04-26 01 51 59) 豚足が大好物で自分で料理を作ったくらい。この豚足料理は今でも中国に残ってる。そういえば地図作りのことに触れてないな。当時地図作りは相当変わった趣味で同僚から笑われていたが段谷の戦いでその有用性を大いに示した。 -- 名無しさん (2017-04-26 04 02 03) あとトウ艾をはめて殺した奴らはロクな末路を辿っていない。鍾会を反乱失敗で戦死、衛カンは皇后の讒言により処刑、胡烈は羌族の反乱で戦死、師纂はトウ艾と同時期に何故か殺された(短気で死体が傷だらけだったらしいのでたぶん怨恨) -- 名無しさん (2017-04-26 04 17 21) 有名な人だったから昔からあちこちに廟があったけど、演義とかの影響で「敵を祀るのはよろしくない」って関帝廟とかに改造されちゃったりしてるなかなかに不憫な人 -- 名無しさん (2017-04-26 11 16 27) 蜀を滅ぼした存在ではあるものの劉禅を厚遇したこと、その悲劇的な最期などから、蜀贔屓からも比較的マイナスイメージを持たれにくい印象 -- 名無しさん (2017-04-26 11 31 39) 独断専行ながらも蜀の統治は評判がよかったのか、蜀の官僚だった樊建は司馬炎に鄧艾の赦免を願い出て許されたらしい。 -- 名無しさん (2017-04-26 12 59 33) ぐう逆とかいう突然出現するパワーワード -- 名無しさん (2017-04-26 16 16 31) 蜀滅亡直後はそのゴタゴタに乗じた西南夷や旧蜀臣の反乱、呉によるハイエナが予想される状況だったわけで悠長に中央政府に指示を仰いで待ってる余裕があったかは微妙な所じゃないかな・・・実際は鍾会・姜維の乱と呉の侵攻の時期がズレてくれたおかげでどうにかなったわけだけど -- 名無しさん (2017-04-26 17 07 08) 黄皓に賄賂とかを贈って内通させたりしてたら(実際は斬ろうとして逃げられた)一発で人形劇呂蒙化してたかもね。 -- 名無しさん (2017-04-26 18 01 22) ↑2 呉の侵攻に関しては羅憲か -- 名無しさん (2017-04-26 19 59 53) ミス ↑3 呉の侵攻に関しては羅憲がギリギリ持ちこたえてくれたおかげで首の皮一枚でつながったからな。羅憲は一度司馬昭に援軍要請をしたけどこのゴタゴタのせいか送ってこれなかったからな。ちなみにようやく送ってきた援軍を率いていたのはよりにもよってトウ艾殺害の主犯者の一人である胡烈という。 -- 名無しさん (2017-04-26 20 05 22) ↑4 南中に関しては霍弋がうまくまとめていたおかげで何ともなかったからな。 -- 名無しさん (2017-04-26 20 08 29) 三国志大戦2の姜維と鄧艾のストーリーは超かっこよかった -- 名無しさん (2017-04-26 21 53 02) 小前亮さんの姜維伝って小説で吃音しっかり拾ってて驚いた。異常に格好良い夏侯覇が退場してこの後の展開大丈夫かと思ったら華麗に主役奪っていったわ。胡烈が友人ポジで丘建と共に鍾会よりキャラ立って魅力的に書かれてるって優遇受けてるけど鄧艾好きは読むべき。 -- 名無しさん (2017-06-25 01 25 48) 司馬昭にとっては鄧艾、鍾会、姜維三者共倒れしてくれてよかったと思っていそう -- 名無しさん (2021-02-14 11 06 04) 鍾会は野望と器が釣り合っていないと友人から行く末を心配されていた。 -- 名無しさん (2021-02-28 01 09 32) 鍾会が反乱を起こさなくてもいずれは司馬昭に消されていた可能性が高い。 -- 名無しさん (2021-03-14 00 46 16) 強襲案が採用されて成功した魏延ってとこかな?有能だけど周りに味方がいなくて反逆者扱いされて殺されたとことか似てるし。 -- 名無しさん (2022-05-27 20 30 25) 部下の擁護が的確であるがゆえにヒドイけんについて -- 名無しさん (2022-05-27 20 44 16) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/ng3ggc/pages/1387.html
名稱:鹹豐皇帝 伺服器及顏色:3、4、5、6服綠 類型:文 性別:男 生命值:454 武力:33 智力:21 防禦:11 敏捷:36 運勢:82 敘述:愛新覺羅氏,諱奕?(1831年7月17日—1861年8月22日),道光帝第四子。生於北京圓明園之澄靜齋,二十歲繼帝位,年號鹹豐
https://w.atwiki.jp/sentai-kaijin/pages/4226.html
【名前】 皇帝専用クライナー 【読み方】 こうていせんようくらいなー 【登場作品】 烈車戦隊トッキュウジャー 【初登場話】 第11駅「闇の皇帝」 【分類】 クライナー 【所有者】 闇の皇帝 ゼット 【モチーフ】 髑髏、列車 【名前の由来】 暗い+ライナー、暗いな 【詳細】 シャドーラインの闇の皇帝が所有する白色のクライナー。 外見は通常のクライナーと同様だが、内部には皇帝専用の玉座しか設置されていない。 他のクライナーと同様に巨大ロボットへの変形機能もあるが、その力はトッキュウジャーを圧倒する程で汎用型のクライナーロボとは明らかに桁外れの戦闘力を誇る。 烈車形態とロボット形態の両面において出撃中はシャドーラインの全ての運行ダイヤから最優先され、決して遅延する事なく、超特急で目的地に到着するシステムを搭載している。 本来の所有権はゼットだが、彼を取り込んだ事で「闇の女帝」と化したグリッタ嬢にその権限が移った。 第22駅でロボット形態への暗闇変形を初披露し、一度はディーゼルオーとビルドダイオーを完敗に追い込むが、第23駅で超超トッキュウダイオーによって大破された。 シュバルツ専用クライナーと同様、第31駅で新造された専用クライナーが登場している。
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/284.html
カコウオン 列伝 曹操の側近。 【演義】 曹操に可愛がられ、曹操が持つ宝剣「倚天」と対を成す「青釭」を預かる。長坂の戦いで出陣していたが、劉禅を捜していた趙雲に討ち取られ、宝剣も奪われた。 【正史】 記述なし。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 63 72 52 45 71 303 135 187 順位 337 178 436 460 202 291 263 275 偏差値 52.5 56.8 46.7 44.8 56.1 52.4 55.0 53.3 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 B C C B C C 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 60 53 50 51 48 44 66 50 50 37 50 42 順位 185 286 283 384 289 389 188 289 263 373 236 364 偏差値 55.9 52.3 52.8 49.4 53.6 49.2 56.0 52.3 53.9 49.5 54.2 50.4 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技なし マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 25 兗予 名声 地方統一 臨機応変 4/5 2/5 2/3 180 194 208(29歳) 不自然死 小心 小心 普通 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 道理 ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 夏侯恩が親愛する武将 なし 夏侯恩が嫌悪する武将 なし シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 5歳 未登場 陳留 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 11歳 未登場 陳留 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 15歳 一般 陳留 曹操 100 - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 21歳 一般 許昌 曹操 100 奮威校尉 7000 - - S5 207年 9月 三顧の礼 28歳 一般 鄴 曹操 100 牙門将軍 10000 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 - 死亡 - - - - - - - S7 225年 7月 南蛮征伐 - 死亡 - - - - - - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 許昌 曹操 100 - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 19歳 一般 陳留 曹操 100 - 0 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 24歳 一般 濮陽 曹操 100 忠義校尉 8000 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 - 死亡 - - - - - - - S12 187年 4月 何進包囲網 8歳 未登場 陳留 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 12歳 未登場 陳留 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 未発見 襄陽 - - - 0 - - 曹操に宝剣貰う程気に入られてたなら親愛になっててもいいような・・・ -- (名無しさん) 2010-12-09 19 29 55 演技にでたとたん趙雲に斬られる残念ネネンネンな人。 能力値的には武力はやや高めだが、統率が低いので統率+5を2回、武力+5を1回 使うと戦争に出せるが結局文官は要るのである。 -- (残念ネネンネン♪) 2011-02-05 13 48 03 趙雲に青紅の剣を奪われるためだけに登場したような人。 -- (名無しさん) 2011-03-23 20 36 35 能力・適性共に微妙だが、義理と魅力が高目なので後方の都市の太守としては悪くない。 -- (名無しさん) 2011-03-23 22 09 24 夏侯姓だが夏侯一族扱いではないので夏侯一族からの支援攻撃はない。 確か吉川三国志じゃ惇の弟って設定だったはずだけど… -- (名無しさん) 2011-05-14 06 43 16 確か横山三国志でも夏侯惇の弟となってたはず。 -- (名無し) 2014-01-27 18 49 14 能力・適正は残念だが魅力が結構ある上に高義理・低野望。 運搬や仁政のような能力に依存しない内政系特技を与え、後方に置く武将としては最適。 義理堅く分不相応な野心を持たないという性格は、このゲームでは立派な長所なのである。 ただし不自然死とはいえ短命なのが欠点。 -- (名無しさん) 2015-08-15 00 57 15 槍というのはこう使うものだ。 剣の出番・・・。 -- (名無しさん) 2018-04-01 10 50 53 青釭の剣はむしろ曹操軍にいるときに味方にとられる(没収される)ことが多い気がするw -- (名無しさん) 2021-05-02 11 08 36 まあ -- (名無しさん) 2021-09-25 19 30 28 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/snchat/pages/500.html
待たせたな! これよりスニ(略) 見た目も声も悪役臭がぷんぷんする男、 こういう奴は絶対ろくな目に遭わない ・見た限り非戦闘員だが、実際はものすごい剣士である ・どっかの息子に殺られたオッサンに聞かせてやりたいもんである ・こいつの位置はFF6でいうガストラ皇帝、ロックマンでいうイエローデビル ・息子(しかも2人)をもてあます ・奥さんの顔と性格が気になるところである ・サモシリーズの親父キャラは大抵ろくな奴じゃない、の常識を裏切らない男 ちなみにディランの父親 似てないよねぇ?
https://w.atwiki.jp/3gokushi_saga/pages/13.html
特徴 正式名称『三国志SAGA~戦火の嵐~』 基本プレイ無料 三国志を題材にした戦略シュミレーションブラウザゲーム シュミレーションにありがちな資源開発や施設建設、兵士募集のルーチンワークに時間を費やす必要がない ゲーム初盤から直接、三国志の戦場に飛び込み、リアルで本格的な戦略シュミレーションを楽しむことができる このページに追加したい情報・項目を投稿してください。 名前 Amazon.co.jp ウィジェット Amazon.co.jp ウィジェット
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/164.html
ラクヨウ 現在の河南省洛陽市。 古代中国の中心地の一つとして周代から栄えた地。後漢の首都。 董卓の大火によって一度焼け野原となるが再建され、魏朝以後も長く繁栄する。 なお、五行思想により王朝によって「雒陽」か「洛陽」の表記が用いられる(後漢は雒陽、魏は洛陽)。 ゲーム中で洛陽所属の港として登場する解県は、関羽の出身地でもある。 基本情報 洛陽を攻める許昌から 宛から 陳留から 長安から 晋陽から 洛陽を守る陳留、宛、許昌からの敵 長安からの敵 晋陽からの敵 周辺地図 未発見武将 基本情報 収入は上級時のもの。初級だと25%増、超級だと25%減。 金収入 兵糧収入 開発地 港関 耐久 特色 700 4000 22(8+8+6) 3 5000 大都市 長安と並び最多の開発地数と最大の耐久値を誇る。配置も最高で、市場造幣ドーナツと農場穀倉ドーナツを両方作れる。 闘艦なしでも水上から開発地攻撃可能。ただし地理の関係上、COMにはまず攻撃されない。 領内に遺跡・廟候補地は無いが、武関の西や夏陽港周辺の候補地はここからでも行きやすい。 金の基礎収入が全都市中最多である一方で、兵糧の基礎収入は晋陽、濮陽、長沙と並び最少。幸い他3都市と違い開発地が多いので、農場を多めに作って補えばそれほど気にならない。 洛陽を攻める 許昌から まずは虎牢関での攻防となる。攻城兵器を用いて正攻法で落とし、再度落とさせてまた落とす、棺桶作戦をするのが安全かつ確実。 虎牢関突破後は本道に陣を建て、相手の兵科に合わせ本道上か南の森を進もう。近くの開発地にあるなら優先して破壊しよう。それ以外はスルーして本城の攻城に入った方が手っ取り早い。 陳留が敵勢力下にある場合はうっかり陳留領に入らないように注意。 宛から 宛領と洛陽領は繋がっていないので、進軍途中に必ず他都市領を通過することになる。武関→函谷関ルートで攻める場合、長安領を通過することになる。長安が敵勢力下にあるなら進軍は避けたいところ。長安が陥落寸前であったり迎撃で手薄なときは一考に値する。宛に近い武関は事前に落としておこう。 進軍ついでに武関西の遺跡・廟候補地に寄っておくといい。 虎牢関ルートで攻める場合、許昌領を通過することになる。許昌が敵勢力下にあるなら進軍は避けたいところ。許昌の敵に攻撃される心配が無いなら、虎牢関以降は許昌から攻める場合と同様で構わないだろう。 陳留から 許昌から攻める場合と同様で構わないだろう。 水軍適性の高い武将がいるなら、官渡港を経て水上に囮部隊を出してみよう。沿岸の開発地を攻撃しつつ、敵を水上に釣り出す。虎牢関で棺桶作戦をしている間に、主力をこちらに回す手もある。 長安から 森・湿地が無いので騎馬・弩が使い放題。洛陽北はやや砂地が多いので槍部隊は注意が必要だが、基本的に柔軟な部隊編成が効く。 函谷関が自勢力下にある場合は、函谷関の東2マス目までは長安領なので1ターンで城壁に張りつくことも一応可能。ただし大抵敵が防衛施設を築いているうえに、乱戦になる。安全に行くなら周辺の開発地を破壊し、火罠を駆使しつつ迎撃部隊を確実に撃破しよう。 函谷関が敵勢力下にある場合は、棺桶作戦で本城の兵力を削った後に進行するのが無難。 晋陽から 壺関の西を通り、解県港を通過して侵攻するのが良い。水上戦になる可能性が高いので、最低でも火矢が射てる水軍適性Bの武将を派遣すること。 西河港に武将を派遣し、そこを拠点として攻める方法もあるが、晋陽から西河港に兵士を輸送するのに時間がかかってしまう。 洛陽を守る どの方面から攻められても一度港関を通過せねばならないので、基本は棺桶作戦でOK。蓋役の部隊が壊滅したり偽報で撤退しないように注意すれば、容易に撃退できる。よって、以降の説明は不慮により港関を突破されてしまった場合のものとする。 陳留、宛、許昌からの敵 事前に防衛施設でZOCを張っておくと、敵は南の森を経由して攻めてくる。森の手前の草地から火球を転がし、施設と火の2方法で城を守ろう。城に取りつかれてしまっても、耐久地が高いので兵器で無いならかなり耐えられる。 長安からの敵 東と比べると防衛施設や壁を作りやすい。予めがっつり固めておけばかなり粘れる。敵がZOCに阻まれているところに火球を転がしてやろう。 火罠を駆使すれば、敵が大軍でも勝機は見えてくる。 防衛施設が十分建てられていない場合でも、敵は開発地攻撃に夢中になって真っ直ぐ城に攻めてくることは意外と少ない。開発地を破壊されるのが嫌ならできるだけ前線を上げる必要があるが、函谷関の東数マスは長安領なので、そこに布陣していると敵は兵が尽きるまで攻めてくるので注意。 晋陽からの敵 攻めてくることは無いと考えてよい。行軍距離が長いため、気付いてから対応を練っても十分間に合う。 周辺地図 未発見武将 シナリオ番号の対応関係はこちらを参照。 年 名前 シナリオ 184 韓玄 1 2 3 12 13 韓浩 1 12 蔡琰 1 2 3 8 12 13 楊奉 1 3 8 12 188 徐晃 1 2 3 12 13 190 司馬朗 1 2 12 13 194 (貂蝉) 1 2 12 13 楊修 1 2 3 8 12 13 198 司馬懿 1 2 3 4 5 9 10 12 13 199 賈逵 1 2 3 4 8 9 12 13 司馬孚 1 2 3 4 5 9 10 12 13 200 (関平) 1 2 3 4 9 12 13 203 張春華 1 2 3 4 5 9 10 12 13 213 (関興) 1 2 3 4 9 10 12 13 214 (関索) 1 2 3 4 9 10 12 13 219 (司馬望) 1 2 3 4 5 6 9 10 11 12 13 220 毌丘倹 1 2 3 4 9 10 12 13 222 (司馬師) 1 2 3 4 5 6 9 10 11 12 13 224 (辛敞) 1 2 3 4 5 6 9 10 11 12 13 225 王濬 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 毌丘秀 1 2 3 4 9 10 12 (司馬昭) 1 2 3 4 5 6 9 10 11 12 226 (曹訓) 7 227 郤正 1 4 5 8 9 10 12 231 (賈充) 1 2 3 4 5 6 7 9 10 11 12 13 232 (関統) 1 2 3 4 9 10 12 13 233 (関彝) 1 2 3 4 9 10 12 13 238 (毌丘甸) 1 2 3 4 9 10 12 13 239 (曹芳) 7 241 (司馬伷) 1 2 3 4 5 6 7 9 10 11 12 13 245 楊済 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 250 (司馬炎) 1 2 3 4 5 6 7 9 10 11 12 13 253 (司馬攸) 1 2 3 4 5 6 7 9 10 11 12 13 (曹奐) 7 曹髦 7 S14の未発見武将は 衛瓘、華歆、郭援、賈充、何進、華雄、郤正、胡軫、鍾毓、譙周、曹芳、曹髦、徐栄、司馬孚、祖茂、孫皓、張紹、陳寿、董厥、杜預、樊建、武安国、卞喜、兪渉、李豊 S16の未発見武将は 厳政、高柔、蔡琰、張宝、卞喜